戸川純、蛹化の女 蜷川実花セレクションの見本盤が送られてきた Part3
ソニーから7月25日発売された戸川純、蛹化の女 蜷川実花セレクションの見本盤が送られてきた。Part3
それを今から聴きながらホントにホントにごく個人的な記憶の断片を書きます
この記述には記憶間違いや推測がおそらくあると思います。
30年前の出来ごとの確実な情報を知ってる人はツイッターで教えてください。

Track: 12
遅咲きガール
何も言わずにこのPVをご覧ください。
著作権的にこれは違法なのでいつか消されてるかもしれませんが?
ナースのコスプレはじめ様々なカット、これ以後のアーティストにいかに影響を与えたか。
そして過去の映画作品へのオマージュでもある事を。
PV制作は純ちゃんのアイデアに基づいて撮影が進められていた。
編集は明け方までフェアライトという映像編集用コンピュータの入った当時最先端の高額な画像処理のスタジオで行われた。
莫大な編集費がかかり、確か純ちゃんはそのリスクテイクを何らかの形でしていたと思う。
30年前の作品。
撮影編集をおこなった中野裕之監督の映像会社の名前はタイレルコーポレーション。
映画ブレードランナーの中に出てくる、架空の会社からとっている。
映画ブレードランナーがいかに当時の若者達に影響を与えていたかよく分かる。
当時はまだミュージックビデオという概念すら一般には浸透していなかったし、MV制作会社は日本になかった。
その理由として映像制作費は現在と異なり莫大な費用がかかった。このような映像的に凝ったMVを作ろうと試みるアーティストは日本にほとんどいなかった。またレコードメーカーの理解を得ることは大変困難だった。
ビジネス的に成立させることも困難だった。
女優でありアーティストである戸川純だからこそ作り得たMVではないか。
中野裕之監督が日本初のミュージックビデオ(MV、PV)制作会社タイレルコーポレーションを設立するのは、このビデオクリップの翌年、1987年の事だ。
この「遅咲きガール」のビデオが当時いかにインパクトを与えたか。想像してみてください。
またこの曲のアレンジを担当している岡野ハジメさんはもともとアルファーレコードに所属していた「PINK」というバンドのベーシスト。「PINK」解散後はプロデュースを手がけるようになり、1997年から現在まで「L'Arc〜en〜Ciel」のプロデュースを行っている。
遅咲きガールの入っているDVD
Track: 13
玉姫様
この曲は前述の国本佳宏君がアレンジ、そして高校時代は耳に安全ピンを刺していたアルファーレコードのエンジニア飯尾君がレコーディングを行った。
玉姫様は細野さんが締切りになっても曲を書いてくれないので、アルファーレコードのピアノのある6階の会議室に監禁したの。(笑)
後ろに張り付いてた僕は、ローランドのリズムマシンTR-808と生のタムのドラムパターンを思いついたので、アレンジの国本っちゃんと相談して自分で叩いちゃった。と云ういきさつが。
by 飯尾芳史
聞き直すと、当時170万円したプロフェット5というアナログシンセサイザーと、ヤマハの開発したDX7という世界で初めて制作されたFM音源式デジタルシンセサイザーでアレンジされている。
国本君は確かヤマハから依頼されDX7を発売するときの、オリジナル音源のデータ開発を手伝っていた。
「開発費を考えると本当は当時の他のデジタルシンセ同様1000万円以上の価格をつけて売ってもおかしくない」とよく言っていた。
確かに人類がそれまで一度も聞いたことのない音を、このDX7は奏でることが出来た。
数百年に及ぶ世界の音楽の近代史の中でも、これほど画期的な楽器はなかったのではないか?
このDX7の音の編集は大変難しく、なかなか思ったような音にならなかった。そのためいい音作れるオペレーターが不足し、スタジオで音をエディットし作るたびにオペレート料金を請求できるようなシステムが生まれた。
最盛期にはシンセの音色を一音作ると2万円請求できた。
シンセサイザーオペレーターという職業もこの世に生まれた。(今では想像も出来ないが)
Track: 14
極東慰安唱歌
Track: 16
ある晴れた日に
この2曲で弾いているオルガン。レコーディングのために確か埼玉の古道具屋で見つけて買ってきた。
旧い学校の教室にあった足踏みオルガン。
当時の練習カセットを聴いてみると、僕の家で、オルガンではなくジュワーンという不可思議なパッド系のシンセをバックに何度も純ちゃんが歌っているテープが残っていた。
スーちゃんがもともと作ったのがそういうアレンジだったのかな?
それを極東慰安唱歌のレコーディングの時にオルガンにアレンジ変更したのだろう。
当時新宿の西口、ヒルトンホテルの斜向かいのマンションに僕は住んでいて、地理的に便利だったから、ヤプーズのメンバーがしょっちゅう家に集まってはデモを作ったり、だらだらと話したり、テレビ観たり、ファミコンしたり、その後そのまま渋谷に飲みに行くことが多かった。
純ちゃんがヤマハのポータサウンドという小型のキーボードを持ってきて、ひと歌いし、デモを録音して行くこともあった。
たいていギターのスーちゃんベースの中ちゃんと飲み始めると、朝までやっている店を2軒はしごして、明け方のサラリーマン達が出勤してくる活気ある渋谷の街をダラダラと歩き、店を変え、24時間やっている店(こちらの方が少し値段が高い)で翌日の昼頃まで飲んでいた。
しかも2日目いったん僕の家に帰って、少し昼寝して新宿西口公園近くのボーリング場によく行った。(体力あったなあ!!)
緑山スタジオで撮影したドラマ「華やかな誤算」
純ちゃんが出演する後ろで僕は謎のオルガン弾きの役で出演し、極東慰安唱歌を演奏した事もあった。4話ではスーちゃんがギターを弾いている。
1985年~1986年、TBS「華やかな誤算」3話・4話より。
これはツイッターで当時の事を話していたら、ある方がPOSTしてくれたもの。
極東慰安唱歌はもう一つ大きな思い出がある。
歴史的な写真家、植田正治さんにジャケットのインナーの写真を撮影していただいたことだ。
昨年大学の後輩の写真家、畠山直也君の個展が東京都写真美術館主催で開かれ訪ねた。
そのとき恵比寿にあるその東京都写真美術館の壁面がロバートキャパと植田正治さんの写真で作られていた事を知り驚いた。
そのような歴史的な写真家にジャケットのインナーの写真を撮影していただいたことは本当に光栄だ。
しかしながら、このインナーは再発されたCDには入っていないのでもう手に入らないのかもしれない?
この撮影の時の話はまたいつか。
訂正です。
一時再発されていた極東慰安唱歌のCDにはこの写真は入っていなかったが、最新の再発売されたCDにはちゃんとこの時の写真が入っています。
今このリンク先のアマゾンの商品レビューの書き込みなどを見ると、少し見当違いな事が書かれているので、おいおいそれぞれのアルバムのことをちゃんと書いておかないとと思っている。
あまり詳しくは言えないが、皆さんが普通に想像するような事ではない、出来事がおこって、すったもんだのすえ、極東慰安唱歌の2曲は当時割愛されたりしたのだが、、
続く。
それを今から聴きながらホントにホントにごく個人的な記憶の断片を書きます
この記述には記憶間違いや推測がおそらくあると思います。
30年前の出来ごとの確実な情報を知ってる人はツイッターで教えてください。

![]() | 蛹化(むし)の女~蜷川実花セレクション (2012/07/25) 戸川純、ヤプーズ他 商品詳細を見る |
Track: 12
遅咲きガール
何も言わずにこのPVをご覧ください。
著作権的にこれは違法なのでいつか消されてるかもしれませんが?
ナースのコスプレはじめ様々なカット、これ以後のアーティストにいかに影響を与えたか。
そして過去の映画作品へのオマージュでもある事を。
PV制作は純ちゃんのアイデアに基づいて撮影が進められていた。
編集は明け方までフェアライトという映像編集用コンピュータの入った当時最先端の高額な画像処理のスタジオで行われた。
莫大な編集費がかかり、確か純ちゃんはそのリスクテイクを何らかの形でしていたと思う。
30年前の作品。
撮影編集をおこなった中野裕之監督の映像会社の名前はタイレルコーポレーション。
映画ブレードランナーの中に出てくる、架空の会社からとっている。
映画ブレードランナーがいかに当時の若者達に影響を与えていたかよく分かる。
当時はまだミュージックビデオという概念すら一般には浸透していなかったし、MV制作会社は日本になかった。
その理由として映像制作費は現在と異なり莫大な費用がかかった。このような映像的に凝ったMVを作ろうと試みるアーティストは日本にほとんどいなかった。またレコードメーカーの理解を得ることは大変困難だった。
ビジネス的に成立させることも困難だった。
女優でありアーティストである戸川純だからこそ作り得たMVではないか。
中野裕之監督が日本初のミュージックビデオ(MV、PV)制作会社タイレルコーポレーションを設立するのは、このビデオクリップの翌年、1987年の事だ。
この「遅咲きガール」のビデオが当時いかにインパクトを与えたか。想像してみてください。
またこの曲のアレンジを担当している岡野ハジメさんはもともとアルファーレコードに所属していた「PINK」というバンドのベーシスト。「PINK」解散後はプロデュースを手がけるようになり、1997年から現在まで「L'Arc〜en〜Ciel」のプロデュースを行っている。
![]() | TOUR-LIVE ’85~’86 [DVD] (2006/02/22) 戸川純とヤプーズ 商品詳細を見る |
遅咲きガールの入っているDVD
Track: 13
玉姫様
この曲は前述の国本佳宏君がアレンジ、そして高校時代は耳に安全ピンを刺していたアルファーレコードのエンジニア飯尾君がレコーディングを行った。
玉姫様は細野さんが締切りになっても曲を書いてくれないので、アルファーレコードのピアノのある6階の会議室に監禁したの。(笑)
後ろに張り付いてた僕は、ローランドのリズムマシンTR-808と生のタムのドラムパターンを思いついたので、アレンジの国本っちゃんと相談して自分で叩いちゃった。と云ういきさつが。
by 飯尾芳史
聞き直すと、当時170万円したプロフェット5というアナログシンセサイザーと、ヤマハの開発したDX7という世界で初めて制作されたFM音源式デジタルシンセサイザーでアレンジされている。
国本君は確かヤマハから依頼されDX7を発売するときの、オリジナル音源のデータ開発を手伝っていた。
「開発費を考えると本当は当時の他のデジタルシンセ同様1000万円以上の価格をつけて売ってもおかしくない」とよく言っていた。
確かに人類がそれまで一度も聞いたことのない音を、このDX7は奏でることが出来た。
数百年に及ぶ世界の音楽の近代史の中でも、これほど画期的な楽器はなかったのではないか?
このDX7の音の編集は大変難しく、なかなか思ったような音にならなかった。そのためいい音作れるオペレーターが不足し、スタジオで音をエディットし作るたびにオペレート料金を請求できるようなシステムが生まれた。
最盛期にはシンセの音色を一音作ると2万円請求できた。
シンセサイザーオペレーターという職業もこの世に生まれた。(今では想像も出来ないが)
Track: 14
極東慰安唱歌
Track: 16
ある晴れた日に
この2曲で弾いているオルガン。レコーディングのために確か埼玉の古道具屋で見つけて買ってきた。
旧い学校の教室にあった足踏みオルガン。
当時の練習カセットを聴いてみると、僕の家で、オルガンではなくジュワーンという不可思議なパッド系のシンセをバックに何度も純ちゃんが歌っているテープが残っていた。
スーちゃんがもともと作ったのがそういうアレンジだったのかな?
それを極東慰安唱歌のレコーディングの時にオルガンにアレンジ変更したのだろう。
当時新宿の西口、ヒルトンホテルの斜向かいのマンションに僕は住んでいて、地理的に便利だったから、ヤプーズのメンバーがしょっちゅう家に集まってはデモを作ったり、だらだらと話したり、テレビ観たり、ファミコンしたり、その後そのまま渋谷に飲みに行くことが多かった。
純ちゃんがヤマハのポータサウンドという小型のキーボードを持ってきて、ひと歌いし、デモを録音して行くこともあった。
たいていギターのスーちゃんベースの中ちゃんと飲み始めると、朝までやっている店を2軒はしごして、明け方のサラリーマン達が出勤してくる活気ある渋谷の街をダラダラと歩き、店を変え、24時間やっている店(こちらの方が少し値段が高い)で翌日の昼頃まで飲んでいた。
しかも2日目いったん僕の家に帰って、少し昼寝して新宿西口公園近くのボーリング場によく行った。(体力あったなあ!!)
緑山スタジオで撮影したドラマ「華やかな誤算」
純ちゃんが出演する後ろで僕は謎のオルガン弾きの役で出演し、極東慰安唱歌を演奏した事もあった。4話ではスーちゃんがギターを弾いている。
1985年~1986年、TBS「華やかな誤算」3話・4話より。
これはツイッターで当時の事を話していたら、ある方がPOSTしてくれたもの。
極東慰安唱歌はもう一つ大きな思い出がある。
歴史的な写真家、植田正治さんにジャケットのインナーの写真を撮影していただいたことだ。
昨年大学の後輩の写真家、畠山直也君の個展が東京都写真美術館主催で開かれ訪ねた。
そのとき恵比寿にあるその東京都写真美術館の壁面がロバートキャパと植田正治さんの写真で作られていた事を知り驚いた。
そのような歴史的な写真家にジャケットのインナーの写真を撮影していただいたことは本当に光栄だ。
しかしながら、このインナーは再発されたCDには入っていないのでもう手に入らないのかもしれない?
この撮影の時の話はまたいつか。
訂正です。
一時再発されていた極東慰安唱歌のCDにはこの写真は入っていなかったが、最新の再発売されたCDにはちゃんとこの時の写真が入っています。
![]() | 極東慰安唱歌(紙ジャケット仕様) (2011/05/11) 戸川純ユニット 商品詳細を見る |
今このリンク先のアマゾンの商品レビューの書き込みなどを見ると、少し見当違いな事が書かれているので、おいおいそれぞれのアルバムのことをちゃんと書いておかないとと思っている。
あまり詳しくは言えないが、皆さんが普通に想像するような事ではない、出来事がおこって、すったもんだのすえ、極東慰安唱歌の2曲は当時割愛されたりしたのだが、、
続く。
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山海塾 フランス国立リヨンオペラハウスにむけ 新作制作中 5
昨日でまるまる二ヶ月に及ぶダンサーの稽古がほぼ終わり、音や道具の確認など色々兼ねた打ち合わせを稽古場で行った。

リヨンオペラハウスはこちら
ほぼ完成したのが3曲45分間
譜面とデモができあがり、スタジオでのレコーディングを待つ曲が2曲
ボツになって作り直すのが一曲
方針が決まったがこれからまだデモを作る段階のが一曲。
ダンサー達は8月中旬ごろフランスに渡り今度は現地リヨンでの稽古になる。
1986年からフランスでの新作初演作りを行っているが、初期の頃は音楽は一ヶ月前に日本で完成させて終わりだった。
それがフランスで本番前一ヶ月ほど稽古を行うようになってから、国際電話でやりとりしながら修正してそれをまとめて本番直前に飛行機で現地入りするスタッフに渡すようになり
次はFEDEXができ、テープをFEDEXで送るようになり。やがてネット経由で送信できるようになり
ネット経由の国際電話が出来るようになり、打ち合わせも楽になり。
今回はDROP BOXを使って、日本でもフランスでも常に最新の音源データを共有している状態だ。
便利な気もするが、それが作品に影響するかと言えば??あまり関係ないと思う。んんんコンビニエントと作品作りには何の関係性もないな。

リヨンオペラハウスはこちら
ほぼ完成したのが3曲45分間
譜面とデモができあがり、スタジオでのレコーディングを待つ曲が2曲
ボツになって作り直すのが一曲
方針が決まったがこれからまだデモを作る段階のが一曲。
ダンサー達は8月中旬ごろフランスに渡り今度は現地リヨンでの稽古になる。
1986年からフランスでの新作初演作りを行っているが、初期の頃は音楽は一ヶ月前に日本で完成させて終わりだった。
それがフランスで本番前一ヶ月ほど稽古を行うようになってから、国際電話でやりとりしながら修正してそれをまとめて本番直前に飛行機で現地入りするスタッフに渡すようになり
次はFEDEXができ、テープをFEDEXで送るようになり。やがてネット経由で送信できるようになり
ネット経由の国際電話が出来るようになり、打ち合わせも楽になり。
今回はDROP BOXを使って、日本でもフランスでも常に最新の音源データを共有している状態だ。
便利な気もするが、それが作品に影響するかと言えば??あまり関係ないと思う。んんんコンビニエントと作品作りには何の関係性もないな。
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