好き好き大好き BiS階段

    戸川純ちゃんのアルバム「好き好き大好き」のために作曲した「好き好き大好き」をカヴァーしたCDがエイベックスから発売されるそうです。




    BiS 新生アイドル研究会が非常階段と一緒に演奏したPV。

    スターリンがよく拡声器で法政大学で演奏していたの思い出した。

    アイドルと言っても昔のアイドルとはもうイメージ違いますね。


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    2013-07-04 : Yapoos計画のころ : コメント : 0 : トラックバック : 0
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    ヤプーズオリジナルメンバー浅草に集まる

    昨晩は二十数年ぶりにヤプーズオリジナルメンバーの三人で集まって飲んだ。

    ギターの比賀江くんとベースの中原くん。
    3時過ぎに浅草雷門の提灯の下に集まり

    kaminarimon.jpg

    浅草寺のお参りをし、飲みに向かった。

    asakusa1.jpg

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    以前浅草に来たときはとても寂れていたが、東京スカイツリー効果だろうか、活気を取り戻していた。

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    東京スカイツリー

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    夕方4時から開いている店がなかなかなくて、適当な店をHOT PEPPERで探して軽く飲み、二軒目は、浅草らしい店を探して、入ってみた。


    二十数年分の、あいつはどうしてるその後どうなった話で話の尽きることがなく。

    色んな人の話が。
    純ちゃんの話から始まり
    野宮真貴ちゃんの話。
    ドラムの宮田くんがKARAの仕事をしている人に近い話。
    音楽業界から引退して、当時誰よりも貧乏だった仲間が中国の不動産投資で成功しウォーターフロントの億ションを持っている話。
    あと、まああまりここで取り上げなくあげたくない人の話。
    そのほか当時のミュージシャン仲間の今の話。
    あと全国ツアーの時の笑い話、二十年以上経っても、話のテーマは変わらないなあ。

    スーちゃんとても元気にやってました。

    当時10年くらい本当にず^^^と一緒に仕事と遊びをしていた仲間とまた集まるというのは良い物ですね。


    asakusa5.jpg
    7時間くらい飲んだところで記念撮影。みんな相当酔っ払ってます。

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    2012-12-10 : Yapoos計画のころ : コメント : 0 : トラックバック : 0
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    戸川純 新宿ロフトワンマンライブに行ってきた

    久々に新宿ロフトに行った。

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    そして本当に久しぶりに純ちゃんのライブを見た。

    とここまで書いて

    連日筑波大学の授業や、香川大学附属小学校の座談会の打ち合わせや準備やらでそれっきりになっていたのであらためて。


    良い感じでみんな年を重ねて、懐かしい曲や昔話を交えて、楽しいコンサートだった。
    客は80年代当時の若者から、最前列には新しいファンも多く陣取り本当に幅広い観客層。


    最盛期ほどの強烈なファルセットの歌声ではないけれど、(純ちゃんも、一時骨折したあと大変だったようだが)
    今はかなりリハビリが進み、歌声に張りが戻ってきてる。

    コンサートの途中の話も楽しく、往年の名曲を生で聴けて本当になつかしかったし、楽しいステージだった。

    特に後半は
    電車でGO、母子受精、そしてもう何十年ぶりかに歌う、僕の作曲したサンプルA、そして最後はやっぱりバーバラセクサロイドそしてアンコールにパンク蛹化の女!と続き、楽しめた。


    新宿厚生年金会館大ホールの、僕がヤプーズとして最後にステージにたったあの日から20年?くらい?たったけど、終わった後、楽屋で純ちゃん、中ちゃんとプロモーションビデオ撮影の時の話をしているとなんだか当時のままの仲間の会話のやりとりが今も続いていいるようで不思議な感覚だった。

    8年?もっと?朝から晩までツアーだレコーディングだと、一緒に過ごしていた仲間だからね。

    一つだけ。さすがに3時間近くスタンディングで超満員のロフトで見てると、途中ずっと立ってるのがつらくなって来てしまった。
    とほほ、ベースの中ちゃんも3時間ベースを肩から下げるのはきついだろうなあ。


    同い年くらいの戸川純、ヤプーズファンのみなさん。戸川純コンサート行くなら今だよ。
    数年たったらスタンディングで見るのつらくなりますよ!!

    2012-11-26 : Yapoos計画のころ : コメント : 2 : トラックバック : 0
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    Yapoos計画 テイチクより再発売され、昨日サンプルをいただきました

    ヤプーズ計画の再発売

    テイチクからヤプーズ計画が再発売され、見本盤が送られてきた。

    嬉しいですね。こうやって数十年前に作られた作品が未だに評価され、メジャーレコード会社から発売されることは。


    「ヤプーズ計画」と、大学ノートの表紙に書いたのはツアー中の新幹線の中だったと記憶する。
    まだ「戸川純とヤプーズ」名義でツアーをしていた頃の話。コンサートのお世話をしていただいていた共同東京のTさんと仲良くなった。

    色々僕達の将来のこと、純ちゃんはバンドで活動しているにもかかわらず、戸川純として全ての作品の評価、あらゆる事を受け止めることが少しばかり負担に感じたりで、そういう悩み事をTさんに相談していた。

    そんなある日、ライブ帰りの新幹線の中でじゃあ「バンドでやれば良いじゃん」とTさんが僕達に言ったのだ。

    そうかバンドか。

    どうすれば商業的に成り立つ、バンドとしてやっていけるのか皆目見当のつかなかった僕は、大学ノートの表紙に
    バンドでやっていくには何が必要なのか、計画をちゃんとたててみようと思い「ヤプーズ計画」と書いた。

    当時純ちゃんは俳優の事務所所属だったし、メンバー全員ばらばらの音楽事務所だったので、僕が所属していたN2という事務所を窓口にしてメーカーとの交渉、全体のスケジュール管理などをすることとなった。
    そしてバンドとアルバムの計画は、一年ほどかけ、じょじょに形になっていくのだった。


    ところで

    話は脱線して、先日あるセッションのベースの録音を中原くんにお願いした。
    録音スタジオ何カ所か検討した結果、なんと、あの「ヤプーズ計画」のレコーディングを行った新宿のフリーダムスタジオで行うことになった。

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    実はこのスタジオ、なかなか縁がなくて、ヤプーズ計画で録音行って以来訪れたのだ!!


    freedom2.jpg
    左ベース、中原くん。右は元、ピチカートファイブやオリジナルラブのドラマーだった宮田くん。今吉田拓郎さんのツアーやってるらしい。


    スタジオはちゃんとメンテナンスされていて当時のアナログのスチューダーのマルチレコーダーまで健在だった。
    もう東京でもこんな風にちゃんとしたアナログ卓が入ってメンテナンスされているスタジオの数もめっきり減ってしまったけど、やはり抜群にいい音で録音出来た。

    studer.jpg
    バーバラを録音したスチューダーのアナログ24chまだ現役。ただしアナログのテープは特注になり、値段は時価だそうだ。

    そうそう、でもってスタジオ終わったあとに久しぶりに中ちゃんと韓国料理屋でべろんべろんになるまで飲みました!!そしてなんと途中。ヤプーズのオリジナルメンバーのギターの比賀江くんからメールが!!たぶん近々3人でまたべろんべろんになるまで飲みます。

    なんだか中ちゃん、色々計画してるみたいです。お楽しみに。

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    2012-11-07 : Yapoos計画のころ : コメント : 0 : トラックバック : 0
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    戸川純、蛹化の女 蜷川実花セレクションの見本盤が送られてきた Part4

    ソニーから7月25日発売された戸川純、蛹化の女 蜷川実花セレクションの見本盤が送られてきた。Part4

    それを今から聴きながらホントにホントにごく個人的な記憶の断片を書きます

    この記述には記憶間違いや推測がおそらくあると思います。
    30年前の出来ごとの確実な情報を知ってる人はツイッターで教えてください。

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    蛹化(むし)の女~蜷川実花セレクション蛹化(むし)の女~蜷川実花セレクション
    (2012/07/25)
    戸川純、ヤプーズ他

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    Track: 15

    ラジオのように
    仏名
    「Comme à la radio」
    このレコーディングセッションのことは直接知らないので曲やレーベルのことを。


    この曲のオリジナルはフランスの歌手、ブリジット・フォンテーヌ。
    アートアンサンブルオブシカゴという前衛ジャズオーケストラと一緒にレコーディングしている。
    確かアートアンサンブルオブシカゴは70年頃パリを拠点に活動していた。

    フランスのレーベル「サラヴァ」でリリースしている。


    この曲は本当にかっこよくて、ぼくが学生時代友人と筑波大学学生宿舎の脇で運営していた、ジャズライブハウス「アクアク」でしょっちゅかけていたので、とてもよく憶えていいる曲だ。歴史的な名盤

    こんなかっっこいい前衛って聞いたことなかった。


    一方、サラヴァレコードといえばフランスのボサノヴァなどおしゃれなイメージのアルバムを多くリリースしているインディーレーベル。

    実は以前パリに住んでいた頃、このレーベル主催者ピエール・バルーさんのお宅によく遊びに行っていた時期がある。
    奥様が日本人で僕のパリに住む友人の知り合いだった関係で、親しくさせていただいた。
    探したら当時の写真が出てくるかもしれない??

    ピエールバルーといえば1966年の名作『男と女』でヒロインの夫役を演じ、また彼の歌ったこの主題歌が世界的にヒットしたことで有名だ。

    パリの5区パンテオン神殿のすぐ近くにご自宅があり、何度か遊びに行ったし、サラヴァの本社にも何度かうかがった。前の奥さんとの間の長男が確かサラヴァ本社内にロック系のレーベルを作って運営してるようなことも聞いて紹介していただいた憶えもある。

    またかわいいおてんばな娘さんがいて、一緒に歌を歌ったりして遊んだ。
    (現在は歌手としてデビューしているらしい)

    南仏にレコーディングスタジオを持っていて、そこの庭には川が流れ、放し飼いにした孔雀を5羽ほど飼っているという、孔雀のイラストの入ったスタジオのパンフレットをいただいた。
    「是非このスタジオでレコーディングを」と勧められたが、残念ながら未だ果たせぬままだ。


    Track: 17

    これは僕も初めてに近く?聞くヴァージョン。
    Yenの卒業アルバムに収録されていたもの。CDになるのは初めてかもしれない??


    Track: 18

    諦念プシガンガ

    原曲はアンデス民謡「El Borrachito」
    題名は日本語で「酔っぱらい」という意味。

    同じ題名の曲が色々あるのでYOU TUBEで調べたらこれですね。

    それをピンクというアルファーレコードに所属していたバンドの福岡豊君(通称エンチャン)がアレンジした。
    エンチャン発見

    この曲のかけ声のような部分。初めてヤプーズでコーラスやるとき、なんて歌ったらいいのか分からなくて泉ちゃんに聞いたら「いいおっさんだい、よいおっさんだい」
    って歌えばいいんだよといわれ、よく分からぬままそうやって歌った覚えがある。

    アレンジの参考資料としては、おそらく当時発売されていたオリジナル録音アンデス民謡「El Borrachito」
    ロスインカスというグループのレコーディング。

    これには
    「Lie-la-lie-la-lie」は入っているけれど「I-Yo-ssan-dai Yo-ssan-dai」は入っていない。

    ここからは推測だが
    エンチャンが編曲をしたときにこの部分を付け足したのじゃないかな?


    フェイスブックで先ほどエンチャンを発見したので近日中に聞いてみます。




    Track: 19
    眼球奇譚。
    手元にあるカセットの記述に間違いなければ、もとは「感傷的事象」というタイトルで純ちゃんは作ろうとしていたのだと思われる?
    この歌のデモの入ったカセットラベルに「感傷的事象」と書いてある。
    後に「感傷的事象」という別の曲も存在するのだが、、??


    でもって今アルファーレコードのマークの書かれたデモテープを聴き直してみたら。
    「赤い涙」というタイトルで途中の「目からなお流れる赤い涙」を「瞳からなお流れる」と歌っているバージョンが見つかった。


    このテープには「えんちゃん曲」「スーちゃんのうた」(発売時には極東慰安唱歌)が入っていて、曲の最後に馬が駆け抜ける蹄の音がする。

    このテープは本番のスタジオレコーディングに行く前に入れた仮歌ばかり入っている。


    さて話を眼球奇譚に戻し。
    冒頭の8小節を、純ちゃんが作曲してポータサウンドの伴奏で仮歌を吹き込こみ、僕の家においていった。その後の部分を僕が作曲した。
    冒頭部分は最初からメロディーと歌詞があった。「エーンエーンエーンと」以後、メロディーを僕が作り、あとから歌詞がつけられた。


    ドラムは高橋幸宏さん。

    リズムのレコーディングは信濃町ソニーのスタジオで行われた。
    当時の信濃町ソニースタジオは日本のミュージシャンにとって聖地だった。
    日本で大ヒットしているレコードのほとんどがここで作られていた。

    このスタジオはテレビコマーシャルや通常のレコーディングなどの一般貸し出しはほとんど行われず、本当に一流の限られたアルバムアーティストしかここで作業することが出来なかった。

    超有名ミュージシャン作曲家、作詞家がここで仕事をしていた。
    「シナソに行ってロビーや喫茶でうろうろしている人たちに声かけるだけで、ヒット曲作れるぞ」とよく言われた。



    格好良かったなあ!!幸宏さん。

    当日隣のスタジオのセッションは松田聖子さんだった。(これはもうあまりにも嬉しかった出来事なので憶えている)

    エンジニアの飯尾君が前もってドラムをセッティングしてバランスを決め幸宏さんの到着を待った。
    (ドラムをおくブースの床は、音響設計上、大理石で作られていた)

    幸宏さんはスタジオに到着するなりオムライスの出前を注文した。僕達もみんなそれに右えならえして同じオムライスを頼んだ。
    僕は譜面の説明をして、ふんふんと一度コントロールルームで幸宏さんが通して聞いて、方針がきまり
    「じゃあ飯尾君とって」といきなり録音の指示が出され、録音したファーストテイクがこれだ。

    よくスタジオでドラム録音の時に見る、「はいスネアーください」とドラムのレベル調整をするような光景はなく
    飯尾君の手によって完璧にバランスがとられチューニングされたドラムセットに幸宏さんがつくなり、本番の録音が開始された。完璧だった。

    確かこの日この曲はこれ一度しか叩かなかったと思う。


    そしてこの歌入れでは鈴が鳴ったなあ。記憶している。
    他の歌手では味わえないというか、特別な物が純ちゃんにはある。

    その表現力は別格で、この歌入れをしていたとき、あまりのすばらしさに、僕の後頭部のさらに後ろ30センチくらいの所で鈴の鳴るような、背筋がぞくぞくするような、そういう不思議な感覚に陥った。

    なんと言えばいいのだろう。天空にある音楽の天国に吸い込まれて落ちていきそうな感じ。



    Track:20
    パンク蛹化の女

    大阪は盛り上がる。

    ツアーをやっていて、北海道旭川から九州博多までライブを行ったが、大阪は格別盛り上がるので好きだった。
    東京は評論家はじめ関係者が前列中央にずらりと座って、立って騒いでくれないから、少しやりにくかった。

    次に大きい都市で、コアなファンが最前列を埋め尽くす街は大阪。
    だから大阪でこの時のビデオ発売用ライブレコーディングをやったのかな?
    そのあたりの経緯は当時担当のOTさんしか知らないと思うが大阪の観客は暖かかったし盛り上がった。

    この録音の頃は、まだヤプーズメンバーの顔は割れてなかったから、近所の喫茶店で本番前にメンバーでくつろいでるとライブに向かうファン達が集合し、次々と喫茶のトイレで着替え、メイクする様子を僕達は雑談しながら眺めていた。
    彼女たちはステージに投げ入れる物を、見せ合っていた。

    生理用品とともに、ラジオで純ちゃんが言ったのかなあ?なぜかファンが塩の袋を投げ入れるのが、はやった事があったと記憶する??
    とにかくやってる方もみているみんなも大騒ぎでライブを楽しんだ。



    ということで今回の「戸川純、蛹化の女 蜷川実花セレクション」全曲解説は終了。

    比較的僕の関わった曲が今回のアルバムには入っていた。

    マスタリングやり直したようで、一時発売されてた、デジタルくさいCD音源ではなくアナログレコードに近いイメージなので、お勧めです。(ここ数年でこのあたりのデジタル技術がものすごく進んだので)


    先日のTBS・MBS系トーク番組『サワコの朝』にご出演されたさい、蜷川幸雄さんがおっしゃっていたが。きっと実花さんが子供の頃、お父さんの車の中でよくかかっていたのかな?と想像する。

    蜷川幸雄さんには前回の山海塾、日本公演の時、東京芸術劇場にお越しいただき、天児とのトークショーをお願いしたり、大変お世話になっています。
    この場を借りてお礼を申し上げます。




    色々資料を発掘しつつ、ヤプーズの話の続きはこちらのブログの「ヤプーズ計画の頃」 カテゴリーでまた書きますね。

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    2012-08-19 : Yapoos計画のころ : コメント : 0 : トラックバック : 0
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    戸川純、蛹化の女 蜷川実花セレクションの見本盤が送られてきた Part3

    ソニーから7月25日発売された戸川純、蛹化の女 蜷川実花セレクションの見本盤が送られてきた。Part3

    それを今から聴きながらホントにホントにごく個人的な記憶の断片を書きます

    この記述には記憶間違いや推測がおそらくあると思います。
    30年前の出来ごとの確実な情報を知ってる人はツイッターで教えてください。


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    蛹化(むし)の女~蜷川実花セレクション蛹化(むし)の女~蜷川実花セレクション
    (2012/07/25)
    戸川純、ヤプーズ他

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    Track: 12
    遅咲きガール

    何も言わずにこのPVをご覧ください。


    著作権的にこれは違法なのでいつか消されてるかもしれませんが?

    ナースのコスプレはじめ様々なカット、これ以後のアーティストにいかに影響を与えたか。
    そして過去の映画作品へのオマージュでもある事を。

    PV制作は純ちゃんのアイデアに基づいて撮影が進められていた。
    編集は明け方までフェアライトという映像編集用コンピュータの入った当時最先端の高額な画像処理のスタジオで行われた。
    莫大な編集費がかかり、確か純ちゃんはそのリスクテイクを何らかの形でしていたと思う。
    30年前の作品。

    撮影編集をおこなった中野裕之監督の映像会社の名前はタイレルコーポレーション。
    映画ブレードランナーの中に出てくる、架空の会社からとっている。
    映画ブレードランナーがいかに当時の若者達に影響を与えていたかよく分かる。

    当時はまだミュージックビデオという概念すら一般には浸透していなかったし、MV制作会社は日本になかった。

    その理由として映像制作費は現在と異なり莫大な費用がかかった。このような映像的に凝ったMVを作ろうと試みるアーティストは日本にほとんどいなかった。またレコードメーカーの理解を得ることは大変困難だった。
    ビジネス的に成立させることも困難だった。
    女優でありアーティストである戸川純だからこそ作り得たMVではないか。

    中野裕之監督が日本初のミュージックビデオ(MV、PV)制作会社タイレルコーポレーションを設立するのは、このビデオクリップの翌年、1987年の事だ。
    この「遅咲きガール」のビデオが当時いかにインパクトを与えたか。想像してみてください。


    またこの曲のアレンジを担当している岡野ハジメさんはもともとアルファーレコードに所属していた「PINK」というバンドのベーシスト。「PINK」解散後はプロデュースを手がけるようになり、1997年から現在まで「L'Arc〜en〜Ciel」のプロデュースを行っている。

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    戸川純とヤプーズ

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    Track: 13
    玉姫様

    この曲は前述の国本佳宏君がアレンジ、そして高校時代は耳に安全ピンを刺していたアルファーレコードのエンジニア飯尾君がレコーディングを行った。


    玉姫様は細野さんが締切りになっても曲を書いてくれないので、アルファーレコードのピアノのある6階の会議室に監禁したの。(笑)
    後ろに張り付いてた僕は、ローランドのリズムマシンTR-808と生のタムのドラムパターンを思いついたので、アレンジの国本っちゃんと相談して自分で叩いちゃった。と云ういきさつが。

    by 飯尾芳史


    聞き直すと、当時170万円したプロフェット5というアナログシンセサイザーと、ヤマハの開発したDX7という世界で初めて制作されたFM音源式デジタルシンセサイザーでアレンジされている。

    国本君は確かヤマハから依頼されDX7を発売するときの、オリジナル音源のデータ開発を手伝っていた。
    「開発費を考えると本当は当時の他のデジタルシンセ同様1000万円以上の価格をつけて売ってもおかしくない」とよく言っていた。
    確かに人類がそれまで一度も聞いたことのない音を、このDX7は奏でることが出来た。

    数百年に及ぶ世界の音楽の近代史の中でも、これほど画期的な楽器はなかったのではないか?

    このDX7の音の編集は大変難しく、なかなか思ったような音にならなかった。そのためいい音作れるオペレーターが不足し、スタジオで音をエディットし作るたびにオペレート料金を請求できるようなシステムが生まれた。
    最盛期にはシンセの音色を一音作ると2万円請求できた。
    シンセサイザーオペレーターという職業もこの世に生まれた。(今では想像も出来ないが)


    Track: 14
    極東慰安唱歌

    Track: 16
    ある晴れた日に

    この2曲で弾いているオルガン。レコーディングのために確か埼玉の古道具屋で見つけて買ってきた。
    旧い学校の教室にあった足踏みオルガン。

    当時の練習カセットを聴いてみると、僕の家で、オルガンではなくジュワーンという不可思議なパッド系のシンセをバックに何度も純ちゃんが歌っているテープが残っていた。
    スーちゃんがもともと作ったのがそういうアレンジだったのかな?
    それを極東慰安唱歌のレコーディングの時にオルガンにアレンジ変更したのだろう。

    当時新宿の西口、ヒルトンホテルの斜向かいのマンションに僕は住んでいて、地理的に便利だったから、ヤプーズのメンバーがしょっちゅう家に集まってはデモを作ったり、だらだらと話したり、テレビ観たり、ファミコンしたり、その後そのまま渋谷に飲みに行くことが多かった。

    純ちゃんがヤマハのポータサウンドという小型のキーボードを持ってきて、ひと歌いし、デモを録音して行くこともあった。


    たいていギターのスーちゃんベースの中ちゃんと飲み始めると、朝までやっている店を2軒はしごして、明け方のサラリーマン達が出勤してくる活気ある渋谷の街をダラダラと歩き、店を変え、24時間やっている店(こちらの方が少し値段が高い)で翌日の昼頃まで飲んでいた。
    しかも2日目いったん僕の家に帰って、少し昼寝して新宿西口公園近くのボーリング場によく行った。(体力あったなあ!!)


    緑山スタジオで撮影したドラマ「華やかな誤算」
    純ちゃんが出演する後ろで僕は謎のオルガン弾きの役で出演し、極東慰安唱歌を演奏した事もあった。4話ではスーちゃんがギターを弾いている。


    1985年~1986年、TBS「華やかな誤算」3話・4話より。
    これはツイッターで当時の事を話していたら、ある方がPOSTしてくれたもの。


    極東慰安唱歌はもう一つ大きな思い出がある。

    歴史的な写真家、植田正治さんにジャケットのインナーの写真を撮影していただいたことだ。
    昨年大学の後輩の写真家、畠山直也君の個展が東京都写真美術館主催で開かれ訪ねた。
    そのとき恵比寿にあるその東京都写真美術館の壁面がロバートキャパと植田正治さんの写真で作られていた事を知り驚いた。
    そのような歴史的な写真家にジャケットのインナーの写真を撮影していただいたことは本当に光栄だ。

    しかしながら、このインナーは再発されたCDには入っていないのでもう手に入らないのかもしれない?

    この撮影の時の話はまたいつか。

    訂正です。
    一時再発されていた極東慰安唱歌のCDにはこの写真は入っていなかったが、最新の再発売されたCDにはちゃんとこの時の写真が入っています。


    極東慰安唱歌(紙ジャケット仕様)極東慰安唱歌(紙ジャケット仕様)
    (2011/05/11)
    戸川純ユニット

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    今このリンク先のアマゾンの商品レビューの書き込みなどを見ると、少し見当違いな事が書かれているので、おいおいそれぞれのアルバムのことをちゃんと書いておかないとと思っている。

    あまり詳しくは言えないが、皆さんが普通に想像するような事ではない、出来事がおこって、すったもんだのすえ、極東慰安唱歌の2曲は当時割愛されたりしたのだが、、

    続く。

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    2012-07-31 : Yapoos計画のころ : コメント : 0 : トラックバック : 0
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    戸川純、蛹化の女 蜷川実花セレクションの見本盤が送られてきた Part2

    ソニーから今月25日発売予定。戸川純、蛹化の女 蜷川実花セレクションの見本盤が送られてきた。Part2

    それを今から聴きながらホントにホントにごく個人的な記憶の断片を書きます

    この記述には記憶間違いや推測がおそらくあると思います。
    30年前の出来ごとの確実な情報を知ってる人はツイッターで教えてください。


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    蛹化(むし)の女~蜷川実花セレクション蛹化(むし)の女~蜷川実花セレクション
    (2012/07/25)
    戸川純、ヤプーズ他

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    Track:8
    バージンブルース
    Pモデルの平沢進さんが編曲。
    Yapoosの僕にとっての後半戦。スーちゃんが抜けてから、ライオンメリーさんにサポートキーボードをお願いしたりギターを平沢さんにお願いした時期があった。

    1989年だからおそらくその頃の純ちゃんのソロアルバムの録音。


    Track:9
    隣の印度人
    佐伯健三君の作詞。

    佐伯君の当時の代表作になるんじゃないかなあ?これと「電車でGO」
    このコーラスは細野春臣さん。今あらためてクレジットみたらそうだった。

    アルファーのエンジニア飯尾君がMC4で打ち込み(音楽データをコンピュータで作ることをこう言います。キーボードをカチャカチャ打つので)頑張ってる。

    僕は1984年の裏玉姫からの参加なので、直接このアルバム玉姫様のセッションを知らない。

    そこで、エンジニア飯尾君の武勇伝を。

    ある日のLDKスタジオで高橋 幸宏さんのレコーディングの時の話。
    「はーいこれでOK、お疲れ様」とセッションが終了した。

    そこでMC4(当時の代表的なシーケンサー。まだMIDI規格のまえのCV GATE規格。データはカセットテープなどに録音して保存するしかなかった)の後ろの電源スイッチを飯尾君が押した瞬間!!

    「あ、ちょっと待って、直したいところが」と幸宏さんが言った。
    さあ大変!!指を少しでもはなすと、MC4にその日記録したデータがすべて消えてしまう。

    (電源ボタンはバネのついたプッシュ式のタイプ)

    飯尾君は指先が真っ白になっても、手がしびれても、MC4の電源スイッチをずっとずっとずっと、セッション終了まで押し続けデータを守りました。

    レジェンドオブテクノ!!




    Track:10
    リボンの騎士

    これはパーカッショニスト仙波清彦さんの主催する「はにわオールスターズ」のグループでのライブレコーディング。
    確か中ちゃんがはにわのベースやってたのかな?

    当時中ちゃんが所属していた
    ムーンライダースオフィスの磯野君がレコーディングコーディネート。
    磯野君の努力なしには、このレコーディングセッションは実現しなかった!!!
    (いちょの!書いたよ)


    上3行の修正文
    当時中ちゃんはマネージャーの磯野とともに、所属していたムーンライダースオフィスから仙波さんのいた3Dに移籍。
    そこで、はにわに参加することに。
    ちなみに、純ちゃんの「はにわオールスターズ」での登場曲は、パッヘルベルのカノンでした。
    by 磯野


    仙波さんは元々邦楽囃子仙波流家元。赤坂にご自宅があり、本来は国立劇場や歌舞伎座が仕事場。
    自宅に遊びに行くと三味線のお弟子さんとかいて独特の雰囲気だった。

    坂本龍一さんはじめ数多くのアルバムのレコーディングセッションをされている。

    僕もよく当時レコーディングをお願いしたのだが、天才肌というかポテンシャルが我々凡人とは違う。
    ちょっとしたスタジオに転がっている瓶とか持っても、いつの間にかものすごいグルーブのリズムをカチャカチャと刻んでいる。

    生きてる超高性能リズムましーーん。音楽の塊みたいな人。

    芝メルパルクホールでのライブ録音。



    Track:11
    電車でGO

    手元に「1983年11月12日 Yapoos 練習 電車でGO レーダーマン」 と純ちゃんの字でラベルに書かれたカセットテープがあるので今聞きなおしている。
    たぶんアルファーのSさんから1984年、新たに加入した僕の練習用にいただいたもの。

    1983年11月27日、渋谷パルコ、スペース・パート3で行なわれた戸川純とヤプーズのライヴのためのリハーサル。

    戸川純&ヤプーズ Jun Togawa & Yapoos
    戸川純(vo)、立川芳雄(key)、石原智広(b)、泉水敏郎(ds)、比賀江隆男(g)、里美智子(key)

    たぶんこのメンバーがオリジナルYapoos。

    「ティーやーららリラー」泉ちゃんが歌いながらカウントをとって曲がはじまる。
    電車でGO、電車でGowa!!

    歌い終わって純ちゃんが一言
    「智子ちゃんよく指動くねえ」とキーボードの里美智子ちゃんに楽しそうに声をかける。

    そのあと、みんなしばらくゲラゲラ笑ってふざけている中、立川君が「さあやりましょうか」と一言仕切ってる。
    しっかり者。

    そして「踊れない」演奏。

    それにしてもリハスタでワンポイントで録音したものだと思うが、とてもバランスいい。

    そして
    泉ちゃんの曲
    「ベッドルームクイーン」演奏。「だって私はベッドルームクイーン」を立て続けに5回ほど練習。


    なんだかドンドン話がアルバムから外れてきたので今日はここまでです。


    続く。



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    2012-07-24 : Yapoos計画のころ : コメント : 0 : トラックバック : 0
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    戸川純、蛹化の女 蜷川実花セレクションの見本盤が送られてきた

    ソニーから今月25日発売予定。戸川純、蛹化の女 蜷川実花セレクションの見本盤が送られてきた。

    それを今から聴きながらホントにホントにごく個人的な記憶の断片を書きます。
    311501_443734685648108_1312764337_n.jpg


    蛹化(むし)の女~蜷川実花セレクション蛹化(むし)の女~蜷川実花セレクション
    (2012/07/25)
    戸川純、ヤプーズ他

    商品詳細を見る




    CDからオーディオデータをリッピングしてAPOGEEのDAコンバータでコンバートしたデータを家のスタジオのGENELECのスタジオモニターで大音量で再生しつつ。

    CDをMACに入れてもまだ発売前なので曲のデータがない!

    きっと誰かが
    書き込むんだね。

    この記述には記憶間違いや推測がおそらくあると思います。
    30年前の出来ごとの確実な情報を知ってる人はツイッターで教えてください。


    TR:1
    銀輪は唄う
    これはゲルニカ再結成で旧譜再発の時に収録したテイク?確かテイチクの杉並スタジオ(グリーンバードだっけ)で上野君が録音した。

    テイチクは昭和6年に創業された、合資會社帝國蓄音器商會が前身。
    YMOの細野晴臣さんがテイチクでグロビュールというレーベルを、この頃スタートさせたのでアルファーにいた人たちがここに流れた。
    当時テイチクの社長の枕元に神様が立ち、「細野晴臣というアーティストと仕事をしなさい」とお告げがあったという噂がまことしやかに僕達の周りでささやかれたが、真偽のほどは定かではない??


    この頃はストリングスは東京芸大のK君の米米CLUBのストリングスアレンジをやっていたチームだったような気がする。
    このチームには夫婦でメンバーのカップルがいて、奥さんの持っているヴァイオリンの値段がとても高く
    だんなさんの使っているヴァイオリン本体で高級外車が買えるけど、
    奥さんのはそれで弓しか買えない値段だとぼやいていたような???クラシックって凄い世界!!と思った記憶がある。
    (凄くいい加減な記憶です。間違っていたらごめんなさ〜〜〜〜い)



    TR:2
    好き好き大好き。
    ムーンライダースオフィスのLinn2のドラム。 ベースはクリエイターゼロのOSCAR+PPGだね。
    なぜかLinn2はライダースオフィスの中でも白井良明さん個人持ちだよ、と念を押されて貸し出されていた??

    イントロでプロフェット5で作ったドンカマの音漏れが聞こえる。
    (このキコココというレコーディング時のドンカマをいれるのは富田勲さんの発明です)

    以前のヴァージョンよりファットになった感じが。リマスターのせい?
    昔発売されたCDより音いいような気がする!!

    確かレコードで発売する時にマスタリング工場で「これ以上音圧あげると針飛びますので、その場合は工場に苦情が来ます。その責任の所在をはっきりするため判子押してください」。と言われ、あきらめて、少し下げた部分とかもグッと上がっているような。

    ストリングスは原宿のスカイ。天井ガラス張りのブース、で録音した。

    このAメロに入ってる両サイドでなってるバリッという音は確か、アルファーのエンジニア飯尾君がアルファースタジオにあった黒いパネルのAMSdmx-15 '80sにおせんべいを食べた音をサンプリングして音程下げて入れたはず。

    これ一応寺田さんエンジニアになっているけど、アルファースタジオでスケジュールあいてるエンジニアが次々手伝ってくれたはず??
    飯尾君、三好君、土井まる、さおちゃん、小池さんほかほか、、

    あ、このベースの生の部分はカシオペアの桜井さんだ。確か。一瞬しか出ないけど。
    この左右のおかずのタムはタイミングずらすためわざと手で叩いて入れた。



    TR:3
    恋のコリーダ
    もっちゃーーーん。

    この録音した日。バッキングコーラスが有名なコーラスグループだったのかな??
    アルファーのOTディレクターが(後の小室哲哉の事務所の社長、自由が丘の僕の家の近所の二階に住んでいた。
    後にソニーのあるレーベルの社長。下北にあった事務所に行ったらカウンターバーがあった!!)
    がんばってブッキングした。クレジットされてないけど有名なコーラスグループじゃなかったっけ?
    なにかもめたような記憶が??
    あそだ。OTが頑張ってブッキングしたカシオペアのベースの桜井さんの弾いたテイクをどの曲かでボツにしたんだったかなあ??忘れてしまった??
    まあ昔話ということで。

    編曲でクレジットされている
    国本君は富田勲さんのアシスタントをやっていた。



    TR:4
    バーバラセクサロイド
    以前このブログで書いたけど、この曲は江戸川橋のリハスタでKORGのドンカマをかけながら純ちゃんとコンセプトを結構やりとりしつつ少しずつ作った曲。
    初めてデモを聴かせたとき「8等身」と1オクターブ跳躍するところを気に入ってくれたと思う。

    ドラムは新大久保にあったフリーダムスタジオで録音。泉ちゃんの自前のドラムじゃなくてソナーのドラムキットをレンタルしてレコーディングした。

    このころの僕達の話す映画の話題はSF、ブレードランナーとか、旧いものとか。
    でその少し前に僕は山海塾のワールドツアー先のスイスでエイリアンの美術を担当したギガーさんのお宅に招待されて。部屋中ブラックライトで、ニシキヘビを飼っていて、凄いショッキングだった話とかしていたと思う。
    ブレードランナーのリドリースコットの事や、音楽を作ったヴァンゲリスの事。
    おそらくそういう会話の中からこのレプリカント、バーバラセクサロイドは生まれた。

    vangeris2.jpg
    2年前のアテネ公演の時にお宅にうかがった、ブレードランナーの音楽のヴァンゲリスさんと、
    劇場近くのレストランで食事をしたときのツーショット。

    TR:5
    蘇州夜曲
    TBSのテレビ「刑事よろしく」に出演している時のテイク。
    YOUTUBEなどで観ると北野武さんとのシーン。

    この頃僕は何年か日本にいなかったので、このテレビのことは残念ながら分かりません。すみません。

    そういえば純ちゃんの歌うバックで弾くオルガン弾きの役でTBSの緑山スタジオに行ったな。
    何のドラマだったか?後で調べて書きます。



    TR:6
    無題。

    このパーカッションはYas-Kazさんにお願いした。
    チャランゴはYas-Kazさんの知り合いで探してもらった。

    アルファーAstでの録音。イギリスのAir studiosにも入っているTADのラージモニター。
    それにAPIの卓があった。コンピューターフェーダーがなかったため、トラック数が多いミックスは何人かでリズム楽器担当、ストリングス担当などと役割を決めて共同作業でミックスしていた。楽しかったなあ。

    ミックスダウンの中にもその瞬間にしかないワザのようなものや、達成感、わくわく感が当時のアルバムには込められていた。今のコンピューターを使ってのミックスにはそういう感性の入る隙がないんじゃないかな?

    ラージモニターの下のソファーの所が低音がブンブンたまってとても気持ちよく寝れた。

    アルファーAstがなくなったあと、あるカメラメーカーのテレビCMの仕事でテレビ朝日のスタジオに行くと、AstにあったAPIの卓が入っていた。懐かしかったけど、少し悲しかった。ちょうどオーム真理教のテロがあった当日のレコーディングの事。

    cmi.jpg
    さてこの曲途中からフェアライトCMIのリズムパターンに切り替えている。今聴くと、どおってことない音なのだが当時はピーターガブリエルのショックザモンキーのリズムがフェアライトCMIで、こんな感じで、とてつもなく新鮮な響きだった。

    TR:7
    蛹化の女

    これはもっちゃんのアレンジ。国本君は富田勲さんの弟子をしつつ、父親の経営する関西のとても大きな有名電気関係の販売会社チェーンを継がなければいけなくて、社長業の勉強のため、ある日渡米した。
    夫婦で留学したのだが確か24時間夫婦の間でも日本語禁止の学校で、「大変!!」というアメリカからの国際電話で話したのが最後。
    それ以来会ってない。妻M子、共々元気かなあ??(超個人的な話ですみません)

    続く。


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    2012-07-22 : Yapoos計画のころ : コメント : 0 : トラックバック : 0
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    戸川純 玉姫様 NHK Eテレ「ミュージック・ポートレイト」

    6月8日
    23:00 NHK Eテレ「ミュージック・ポートレイト」松田聖子×藤井隆の回で、藤井隆さんが「玉姫様」を選曲とのこと。
    戸川純&ヤプーズで「夜のヒットスタジオ」に出演した時の映像が流れました。

    藤井隆さんが初めて買ったレコードが純ちゃんの玉姫様だって。

    再放送があるので、見逃した方は是非ご覧ください。詳しくは番組HPで。




    しまった!!見逃してしまったので録画予約した。

    フジテレビの夜のヒットスタジオといえば井上順さんと芳村 真理さんが司会で、何度か出演したので色々思い出がある。

    なんと言っても、一番憶えてるのはドラムの泉水君が随分遅刻(30分以上?)してきて、Mという、ある男性大物演歌歌手のリハーサルを遅らせてしまった!
    みんなやきもきして、ディレクターもカンカンだったけど、本人はスマシタ顔でフジテレビのスタジオに現れた。

    さすが、もっと大物タレントの甥っ子だけある。
    (泉ちゃん以前、その叔父さんの家で美空ひばりに会ったことあるって言ってたと思う??タシカ??)
    と泉ちゃんの度胸に驚いた事だ。


    先日実家で純ちゃんとゼルダのサヨコさんがリハーサルしている録音や、ソニーミュージックで現在発売している極東慰安唱歌のDEMOを僕の自宅でポータサウンドで弾きがたったカセットテープが出てきた。

    次はその話題で。


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    2012-06-09 : Yapoos計画のころ : コメント : 0 : トラックバック : 1
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    Yapoos計画のころvol:5 戸川純さんに初めてLDKスタジオで会うまで

    disc_th.jpg

    確かこの玉姫様の見本盤をもらったのは水道橋にあったLDKスタジオというアルファーレコードのスタジオだった。

    当時僕はK君というカメラマンと一緒に茗荷谷にある、一階が八百屋のマンションに住んでいた。

    2DKの部屋で、台所をシェアし2つの独立した部屋があった。

    その部屋にティアックの8チャンネルのテープレコーダー、ティアックのミキサー、プロフェット600、ドラミュレーターというEmu社から出ていたドラムマシンを持っていて、生まれて初めてデモテープを作った。

    そのテープではゼルダのベース、ようこちゃんに歌を歌ってもらっていた。

    そして「Anonymous Alien」 というタイトルをつけ、何百本かコピーして友人に配って回った。


    今聞くとノイズだらけのこのカセットテープは多くのきっかけを生んだ。

    ある日のこと青山にある友人のマンションで、飲んで目覚めると突然電話がかかってきた。

    その友人の友人がCMディレクターをしていて、キューピーマヨネーズのCMの音楽を作る人を探していて、僕のテープを聴いたから会ってみたいと連絡をくれたのだった。

    打ち合わせ場所の六本木にあったブラウンというCM制作会社に行くと、友人の友人というのは、刈り上げ頭の黒めがねの同い年くらいの男性で、加藤良一君というディレクターだった。
    (加藤君は2004年に「キユーピー あえるパスタソース たらこ」のCMを作っている。「ターラコーターラコー」という、「キグルミ」という子供達が踊って流行したCM「クリックすると音楽が流れるのでご注意を!!」

    その加藤君とキューピーアオハタスープの仕事をしたのが僕のテレビCMの初仕事である。

    加藤君はCMディレクターという職業がらか、漫画家、ミュージシャン、など面白い人達が周りにいた。
    いつの間にか僕は彼の主催する「楽しい音楽」というユニットを手伝ったり、レコーディングを手伝ったり。

    「楽しい音楽」でリリースしたレコードは「びっくりハウス」の表紙を担当していたイラストレーターの霜田恵美子さんがジャケットの表紙を書き、蛭子能収さんが裏ジャケットにマンガを書いてくれたりした。(今あらためてびっくりハウスのWEBをみると、表紙イラストレーション=霜田恵美子 対談=細野晴臣VS伊武雅刀/エッセイ=戸川純/と、純ちゃんに知り合う前に少なからず接点があったようだ)


    加藤君はあがた森魚さんのファンで、永遠の遠国という発売未定のアルバムにつく、おまけのソノシート作りを手伝っていた。
    ソノシートのレコーディングの手伝いをしているうちに、いつのまにか、僕はあがたさんのライブの手伝いでキーボードを弾くようにもなった。


    そんな風に1983年は東京都心で、いわゆる今で言うサブカルチャーの人たちの集まりの、あちこちに顔を出していた。


    そんなある日、

    僕のデモテープを聴いたというアルファーレコードのSさんから電話があった。
    曲を頼みたいので一度会いたいという。

    僕はLDKスタジオに向かった。

    初めて会った純ちゃんは白いシャツに黒いコムデギャルソン(たぶん?)のスカート。黒い革製の指貫グローブをしていたように記憶する。
    そして凄くていねいに「宜しくお願いいたします」と挨拶された。


    そして話ははじめに/Yapoos計画のころ
    につながる。



    実は今回書いていて、当時のサブカルチャーの人たちの資料や写真が出てきたので、「Yapoos計画のころ」と別立てで、週一くらいの連載でシリーズで書いていこうかなと思っている。
    タイトルは「新人類ローリング80」



    それから出てきた資料の中に
    「戸川純ユニット・極東慰安唱歌」のサブマスター6ミリテープ。その後CD化したときにも未収録の「感傷的家路」というタイトルの音源。京都のライブハウスで録画したビデオテープ。
    当時回していたステージの上から、オフのとき、楽屋、移動中を撮影した8ミリフィルム。
    毎回のリハーサルスタジオで録音したカセットテープや、僕の自宅で録音したDEMO。
    段ボール箱に3箱ほどある。
    聞き直していないが、興味深い物もあるかもしれない。



    なにぶん30年前の話なので、記憶があいまいだ。
    出来る限り当時の写真や資料を見直しながら書くようにするが、勘違いしているところや、記憶が違っているところがあったら、ご存知の方はお教えください。

    テーマ : ロック
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    2012-05-20 : Yapoos計画のころ : コメント : 0 : トラックバック : 1
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    玉姫様ツアー

    1984年1月に戸川純、ファーストアルバム「玉姫様」がリリースされ、2月には全国8カ所にわたる「玉姫様ツアー」を「戸川純とヤプーズ」は行っていた。




    そのツアー先の京都で、僕はヤプーズのライブを初めて観る事となる。

    「あがた森魚」さんのバックバンドのキーボードメンバーとして京都に行っていた僕は、「玉姫様ツアー」のオープニングのために作った「Overture」がどのように使われているのか気になって会場に遊びに行ったのだ。

    そのとき、その、初ツアーの終わりに、キーボードを担当している立川芳雄さんと里美智子さんがヤプーズから抜けると聞かされた。
    そして、ライブの打ち上げの席で、「キーボードを担当してくれないか」とアルファーのディレクターから頼まれる事になった。
    たしか寒い日で炬燵のある居酒屋のような場所だった。楽屋に炬燵があったのかもしれない???
    まったりと炬燵にあたりながら飲んでいたと思う。そのときがヤプーズのメンバーとの初顔合わせだった。



    当時「山海塾」はワールドツアー4年目に入っていたのだが、一度僕は「山海塾」を離れ、一人で日本で音楽の仕事をやって行きたいなと思っていたところだったので、その場で引き受ける事にした。

    1980年から1983年まで山海塾ワールドツアーのため日本にほとんどいなかった僕は、実は戸川純ちゃんの活躍をあまり良く知らなかった。そのポジションやテレビでの発言、雑誌での取り上げられ方。
    何の先入観もなく、彼女の所属レコード会社のディレクターから依頼されバンドに加わる事になる。


    後日、純ちゃんから聞いたが、純ちゃんは僕が山海塾という前衛的な、(という言葉でくくられていた)
    当時はまだ日本であまり知られていない舞踏グループの音楽をやっている人だという事で、
    ずいぶん年齢が上だと思っていたらしい。

    (1984年、山海塾はパリ、ニューヨークを含む全世界で71ステージの舞台公演を行ったが、日本での公演はわずか一日だった。)


    さて東京に帰ると早速譜面を受け取り、ライブを録音したテープを聞きヤプーズのリハーサルに加わった。



    僕のヤプーズメンバーとしての初ライブは1984年5月、東京青山にある草月ホールでのライブだった。
    シングル「レーダーマン」発売記念イベント。

    メンバーは

    ドラムス:泉水敏郎
    ベース;中原信雄
    ギター:鈴木智文
    キーボード:吉川洋一郎
    そして、ヴォーカル:戸川純

    (確か数ヶ月間ギターの比賀江君が参加していなかった時期があった。このときは中原君とポータブルロックというバンドでいっしょにギターをやっていた鈴木君にギターをお願いしていた時期だった。)


    それまでは、山海塾作品の中で、全国の大学祭などのホールでピアノを演奏したり、あがたさんのフォークアレンジのバックバンドの経験はあったが、プロフェッショナルのロックバンドとして演奏するのはその草月ホールが生まれて初めてだった。



    label.jpg
    「ヤプーズ計画」初回プレスビデオパッケージに入れられていたステッカー




    今でも鮮明に覚えているのは、途中ステージ上に漂ってくるスモークとその匂い、そしてレーダーマンを演奏し終えた瞬間に左右から金色の紙吹雪?(というのだろうか)10㎝ほどの長さのアルミ箔のようなテープがステージ全体を覆った。

    それはステージ両サイドから中央に向け打ち上げられたものだった。
    スモークの油で少し鍵盤がべとつき、ひらひらと舞うアルミテープがキーボードの鍵盤上にまとわりついた。
    そのような演出の事を知らされていなかった僕は、驚きとともに今までとは違う世界に飛び込んだ事を楽しんでいた。

    「鍵盤の中に入るとショートするから、ちゃんととっておいた方がいいですよ」PAの人から教えられた僕は、終演後キーボードをケースにしまう前にその箔を一枚一枚はがした。


    EPシンングルを切った「レーダーマン」と「母子受精」はそれぞれムーンライダーズの白井良明さん、そしてサザンオールスターズのライブサポートメンバーだった国本佳宏君がアレンジを行った。
    草月ホールでその日演奏した2曲は、発売したシングルのアレンジをライブでも生かしたいというディレクターの意向で、他の曲のような、バンドだけの演奏では行わなかった。

    アルファーレコードのエンジニア、飯尾芳史君がFOSTEXの8チャンネルのオープンリールテープレコーダーにスチューダーの24chマルチトラックレコーダーからミックスしたものを持ち込み、プレイバックし、そのカラオケを聴きながら一緒に演奏を行った。

    はじめそれは難しい事に思われたが、ドラムの泉水君はテープから流れてくるクリック音とカラオケを聞きながら演奏する事にとても慣れていて、本番でもスムーズに演奏する事ができた。

    とにかくドラムさえしっかりテンポキープされていれば周りはなんとかなるものだ。


    その「レーダーマン」の発売キャンペーンは盛大に行われ、後日フジテレビ「夜のヒットスタジオ」へも出演する。




    なにぶん20年前の話なので、記憶があいまいだ。
    出来る限り当時の写真や資料を見直しながら書くようにするが、勘違いしているところや、記憶が違っているところがあったら、ご存知の方はお教えください。




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    1985年7月9日のノート/Yapoos計画のころ

    1985年7月9日から開始したノート。

    このノートはいつも僕が様々なアイデアを書きためるために持ち歩いていたノート。

    Yapoosで会議した内容の議事録だったり、僕のプライベートな仕事のメモに交じって、純ちゃんの書きかけの歌詞や制作するアルバムのアイデアも書かれている。

    ノートの最初のページに純ちゃんが次のように書いている。


    1985年8月~9月にレコーディング11月~12月にアルバムリリース ライブ

    レコーディング候補の曲

    シティーボーイ
    エンジェルベイビー
    その絵を踏むな
    メヌエット
    エルサレム
    降誕節
    春めきGirl
    セシルカット
    電車でGo
    昆虫群
    パンク虫の女
    玉姫様
    レーダーマン
    リズム運動
    人間合格
    オーロラB

    ビデオクリップのアイデア

    (ロケ)
    漁村 学校 沖縄 軽井沢 本郷 北品川(京浜) 川崎 北海道
    (さし込み)
    学校 ニュース 日本海

    テーマ

    ウルトラQ 怪奇大作戦 乱歩 夢野 ゴモンレコード


    そして左隅に小さく「ツアーライブ1985~1986」に出てくるビデオ映像のもとになる川崎の工場地帯の絵コンテ。

    ライブの時の舞台衣装、舞台装置のアイデア。

    セーラー服のような衣装を身にまとい、真ん中に大きく(戸)と書かれた鉢巻きを締め、右手でマイクを持っている。小道具としての刀も書いてある。






    そして数ヵ月後、1985年 冬 に書いたアイデア頁には




    ヤプーズデビューアルバム(HYSレーベル)

    1986年 9月~10月発売予定


    1986年2~5月新曲作り

    5~7月リハーサル、レコーディング

    Produced & Directed by Yapoos

    リリース、アルファーレコード

    ジャケット:岡本太郎

    (その時は確かめなかったけれど、純ちゃんは岡本太郎と親交があったのかもしれない)
    と書いてある。




    1983年のバンド結成の約2年後。1985年には「戸川純&Yapoos」というバックバンドとしての存在ではなく、リードボーカル戸川純のバンド「Yapoos」として活動する道をみんなで模索し始めていた。


    実際にそれが実現するのは、それからさらに2年後1987年の事だ。







    なにぶん20年前の話なので、記憶があいまいだ。
    出来る限り当時の写真や資料を見直しながら書くようにするが、勘違いしているところや、記憶が違っているところがあったら、ご存知の方はお教えください。
    2011-05-17 : Yapoos計画のころ : コメント : 0 : トラックバック : 0
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    はじめに/Yapoos計画のころ

    Yapoos計画のころ。


    はじめに。

    僕にとってYapoosは1983年秋、アルファーレコードのディレクターSさんから電話をいただき、戸川純さんの初めてのライブツアーのオープニング用の曲を作って欲しいと依頼されたのがスタートだ。(裏玉姫「OVERTURE」)

    1984年1月にリリースする「玉姫様」という彼女のファーストアルバムのライブツアーを全国8か所で予定しており、そのオープニングで使用したいと言う話だった。

    uratamahime1.jpg
    uratamahime2.jpg


    その出会いから8年間。

    今思えば当時はまるで家族のように、スケジュールが空くといつもダラダラとみんなでいて、アルバムリリースの計画や映画の話や恋の話をした。

    いろいろ大変なこともあったが、本当に楽しく素晴らしい時間をバンドのメンバーと共有した。

    1991年6月2日アルバム「ダイヤルYを廻せ」リリース後、新宿厚生年金ホールのライブを最後に、バンドをやめるまでのキラキラした時間の話をここに書いておこうと思う。



    現在も戸川純さん、中原信雄さんが中心になってYapoosは健在だ。





    d_y.jpg
    (シングルMen's J.U.N.A.Nのジャケット撮影用に作った爆弾の小道具。木を削りだして制作してもらった)





    なにぶん20年前の話なので、記憶があいまいだ。

    出来る限り当時の写真や資料を見直しながら書くようにするが、勘違いしているところや、記憶が違っているところがあったら、ご存知の方はお教えください。
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    戸川純さんのアルバム You Tube

    昔在籍していたバンド Yapoos 戸川純さんのアルバムが本日、SONY Music Directより再発売された。

    You Tubeを検索すると当時のPVやテレビ番組出演の時の映像がアップされていて懐かしくなったので、僕の作曲したものをいくつか、ここにアーカイブにしてリンクを貼付けておきます。

    ただ著作権的には x なので、どなたかが申請して、いつの間にかなくなっていたりするかもしれません。そのときはあしからず。

    それにしてもYOU TUBEを見てみると英語の書き込みで、まじめに彼女とレディーガガを比較しているコメントが多く見られる。確かに今見直しても戸川純の素晴らしい才能を感じる事が出来る。特にPV撮影に関しては彼女自身のアイデアで常に制作が進められていたと記憶する。プロデュースも彼女自身がリスクテイクしていたはずだ。

    TOUR LIVE'85~'86のPVは、映像作家、中野裕之さんとの編集作業で、数億はしたフェアライト社の映像合成用コンピューターを長時間使用し、スタジオから朝帰りしたことを覚えている。
    今から20~28年前の事だ。





    好き好き大好き

    作詞 戸川純  作曲 吉川洋一郎





    曲中のストリングスは表参道にあった天井がガラス張りのスカイと言うレコーディングスタジオで録音した。確か現在のキディーランドあたりのビルの最上階にあったスタジオで天井から自然光が入ると言うのがスタジオの売りだと聞かされた記憶がある。
    このPVの中には様々な過去の映画作品へのオマージュが散りばめられている。


    バーバラセクサロイド

    作詞 戸川純  作曲 吉川洋一郎  演奏 Yapoos




    このイントロのリズムボックスは当時水道橋にあったアルファーレコード所有のLDKスタジオと同じビルに入っていた、リハーサルスタジオにあったもの。
    京王技術研究所(現コルグ)が1963年に発売した、国産初のリズムボックス、ドンカマチック(DONCA MATIC )の音を録音した。純ちゃんから半分くらい書いた詩をもらい、そのリハーサルスタジオでメロディーを作った記憶がある


    大天使のように

    作詞 戸川純  作曲 吉川洋一郎  演奏 Yapoos





    このアルバムをレコーディングしたのは富士山のふもとにあった河口湖?山中湖?レコーディングスタジオ。
    レコーディングに煮詰まって富士急ハイランドにメンバー全員で遊びに行き、ゴーカートのようなアトラクションで車をぶつけあって遊んだ。
    途中出てくる青いボルボ。当時のっていた僕の車です。


    ロリータ108号

    作詞 戸川純  作曲 吉川洋一郎  演奏 Yapoos




    この収録が行われたのは当時の渋谷公会堂。今のC.C.Lemonホール。2階席まで超満員の会場をキーボードを弾きながら見上げると、2000人を超す満席の観客がジャンプして2階席全体が波打っていた。

    この前後でライブハウスツアーなども行い、名古屋のELLという小さめの会場でやったところ、あまりにも客が入りすぎ、目の前にいる客が酸欠でバタバタと倒れたのを記憶している。
    高橋という(後に小室哲也の事務所の社長?)当時アルファーレコードのディレクターが「これ以上騒ぐと危険です。おとなしくご覧ください。皆さんお約束できますね!」というようなことをステージに出て言ったのだが、ロックコンサートでおとなしく聴く客なんかいるはずがなく、演奏しているとまたバタバタ客が倒れて行った。
    汗だくになってキーボードを弾いていた。

    続く、、、

    なにぶん20前の話なので、記憶があいまいだ。出来る限り当時の写真や資料を見直し正確に書くようにするが
    勘違いしているところや、記憶が違っていそうなところがあったら、お教えください。

    吉川ツイッターまで 

    2011-05-11 : Yapoos計画のころ : コメント : 0 : トラックバック : 0
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