新人類ローリング80 Vol:3    蛭子能収さん

    今回の新人類ローリング80は  蛭子能収さんのこと

    ちょうど今しがた、NHKラジオ「みうらじゅんのサントラくん」
    NHKラジオ第一 20:05-21:55。

    ゲスト:蛭子能収さん。ナレーション:戸川純

    サプライズ・ゲスト戸川純さん、が生放送出演だったのでタイムリーな話を。

    番組では映画の話、エマニュエル、コンボイとかそしてオーメン2
    純ちゃん元気そうでしたね!!

    みうらじゅんさんも一緒に行った蛭子能収さんとの香港旅行のこと。



    コマーシャルの仕事を当時一緒によくやっていたディレクター加藤良1君(最近ではキューピーのたらこスパゲッティーなど作っている)と「楽しい音楽」という名前のユニット(当時はやったヘタウマバンドって言うのだろうか?)をやっていたおかげで、そのジャケットのイラストを手がけていた漫画家の蛭子能収さんやイラストレータの霜田恵美子さんとよく遊んでいた。


    ebisu.jpg
    左から蛭子能収さん、根本敬さん、僕、一人おいて霜田恵美子さん。撮影した場所は、おそらく、よくたむろしていた渋谷駅前の名曲喫茶「らんぶる」’86年頃の撮影



    蛭子さんは大変賭け事が好きで、僕も蛭子さんに誘われ、そのCMディレクターと一緒に競艇場に出かけ、何度か競艇をやった。
    蛭子さんは本当に競艇がすきで、あのニコニコした笑顔ではにかみながら、その魅力を語るのだが、僕には残念ながらよくわからなかった。

    ある日のことだ、パルコ出版から出ている「びっくりハウス」のイラストを手がけているイラストレータ達が香港旅行を企画した。僕もその旅に誘われた。

    僕はちょうど、プリンセスプリンセス(そのときはまだその名前正式決定されてなく、何となく「女の子のバンド」と呼んでいた)のレコーディングをやっていた時期で、プリプリのアルバムのトータルプロデュースを担当していたムーンライダーズの岡田徹さんと、そのころしょっちゅう会っていた。

    そこで岡田さんもその香港旅行に誘った。

    25人くらいの団体になったと思うが、音楽業界とイラストレータの随分風変わりな集団で、レストランで、大きな、なまこが料理に出たと言っちゃあ、大騒ぎするようなマコトに騒々しい旅だった。

    漫画家では根本敬さん、みうらじゅんさん、霜田恵美子さん、蛭子能収さんなどが参加した。


    3日間の観光の2日目はマカオ観光、宿泊もマカオという行程だった。そう蛭子さんとカジノのあるマカオ。
    当然、蛭子さんと数名の漫画家はカジノに。

    そしてその夜、蛭子さんは熱くなって持っていた財布の有り金をすって一文無しに。
    翌朝、マカオ島から香港島に帰るフェリー代金も借りるしまつ。
    その後の旅は、いちいちすまなさそうな、テレビで見るあの雰囲気そのままに言い訳をしながら周りの人たちにお金を借りていた事を思い出しますww




    テーマ : 芸能一般
    ジャンル : アイドル・芸能

    2012-08-21 : 新人類ローリング80 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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    20年以上前、ドイツのレーベル Ata Tak よりリリースした高校生のユニット

    新人類ローリング80 番外編

    ピッキーピクニックというユニットがあった。

    1985年頃僕がプロデュースしたユニットの音源が先日CDで再発売されたので懐かしく思って買ってみた。
    80年代のカルチャーの香りがギュウギュウに詰まった音で、懐かしい、彼らのはじけた感じを思い出した。

    picky.jpg


    ピッキーピクニックの二人は当時まだ高校生で、僕のスタジオ兼仕事場に遊びに来ては、わいわいと大騒ぎをしながら録音し、そのテープを持って当時フジテレビの近く、曙橋にあるスタジオでレコーディングを行った。

    二人はまだ確か高校1年生か2年生だったと思う。いつもキーキーと高い声を上げてふざけあっていた印象がある・

    そしてなんと彼らはその録音した音源をドイツのAta Tak レーベルから世界にリリースした。




    <Ata Tak レーベルとは>(発売元のWEBより引用)

    70年代末、芸術アカデミーの学生がデュッセルドルフに作品展示のギャラリーを開設。
    当時Art Attackと呼ばれていたギャラリーは次第にレコードをリリースするレーベルへ"Ata Tak"と転身していった。
    同レーベルからは盟主であるデア・プランをはじめ、D.A.F.、アンドレアス・ドーラウ、ホルガー・ヒラーなどドイツの独創的なミュージシャンのほか、
    米国L.A.F.M.S.系列のモニターや、日本のピッキー・ピクニックなど世界中の個性的なアーティストの作品が次々と世に送り出され、80年代にはドイツ音楽シーンの中核を担う代名詞的存在へと成長していった。
    その後もOVALのデビュー作や、著名な広告デザイナー、チャールズ・ウィルプの広告音楽集などのリリースを手掛け、現在もなお精力的にリリースを続ける。
    またレーベル独自のアート感覚や世界観にはファンも多く、ディペッシュ・モードなど、あまたのアーティストがファンであることを公言している。




    おそらく何年間か彼らとつきあっていたのだと思う。レコーディングしていて、最後の頃は受験の事で、2人がどこの大学受けるかについてよく話していた。大学受験をきっかけに2人の活動は一時停止して、その後僕は彼らとあまり会わなくなったと記憶する。

    高校生と言えば、ちょうどその頃レコーディングしていたプリンセスプリンセスの奥井香さんも高校2年?か3年で、ソニーの信濃町スタジオで彼女たちのファーストアルバムのレコーディングの合間に数学の問題を教えてあげた記憶がある。

    ピッキーピクニックの二人は(匿名のユニットで結局最後まで顔を出すことはなかった)その後一人はメジャーレーベルからデビューしたバンドのベースになり今も活躍している。

    一人はメジャーレコード会社のディレクターになり今も日々レコーディングスタジオに入っている。

    アルバムのエグゼクティブプロデューサーのE君はピッキーピクニックに続き、またまた個性的な「たま」というユニットを見いだし、ブレイクさせ、当時乗っていた古びた日産シルビアをベンツに買い換え、ビルを建てた。


    ちょっとバブリーな時代の出来事だ。



    テーマ : J-POP
    ジャンル : 音楽

    2012-07-05 : 新人類ローリング80 : コメント : 1 : トラックバック : 0
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    新人類ローリング80 Vol:1 筑紫哲也さん

    shinjinrui.jpg
    朝日ジャーナル 昭和60年5月24日発行 
    編集長:筑紫哲也 発行所:朝日新聞社 

    新人類ローリング80 Vol:1 筑紫哲也さん

    サブカルチャー。
    宝島、フールズメイト、びっくりハウスといった雑誌があった1980年代。

    朝日新聞社の発行していた週刊誌「朝日ジャーナル」という雑誌があり、後にTBSテレビ「NEWS23」のメインキャスターを長く務められた筑紫哲也さんが編集長をなさっていた。

    その雑誌の企画に「新人類の旗手たち」という見開きグラビア6ページにわたる目玉コーナーがあった。

    朝日ジャーナルが毎週、若者で目立った活動をしている人を紹介するコーナーだった。

    その連載で取り上げられた人物は作詞家の秋元康さん、女子大生(当時)の辻本清美さん、ピアニスト小曽根真さん、コラムニスト泉麻人さん、劇作家の平田オリザさん、エンジニアの西和彦さんなど同世代の代表34人。


    僕はその連載の第6回目に取り上げられた。
    電車の中吊り広告に「新人類の旗手たち」のグラビア写真が使われたので、僕は初めて自分の写真を山手線の中で見る。

    朝日ジャーナルの企画タイトル「新人類」という言葉は当時大変な流行語になり、少しわかりづらい、若者文化を代表する人物は「彼は新人類だからねえ、、、」という風に揶揄された。

    その取材で銀座の朝日新聞社最上階の部屋で筑紫哲也さんのインタビューを受けた。
    僕は当時流行していた、K'sファクトリーという極彩色のトレーナーを着て朝日新聞社に行った。

    だだっ広い大きなテーブルのある部屋に通され、筑紫さんと二人きりの対談だった。

    まず僕が筑波大学出身だという話題から入り、理系なのに音楽をやっているのは珍しいんじゃないか?という風なことを聞かれた。

    そして山海塾と一緒にワールドツアーに出かけたときの話をした。

    世間話のような雰囲気だったが、筑紫哲也さんの「はあ、はあはあ」という話し方が印象的で「ああテレビでよく見かける人がここにいる」と思った。

    その日は音楽について、筑紫さんとかなり突っ込んで話した。

    サザンオールスターズの桑田佳祐さんのような、洋楽を手本にしたメロディーに日本語を乗せて歌うスタイルのバンド、そして松田聖子に代表される歌謡曲が当時の主流だった。

    そこに戸川純ユニットのような日本の音階をベースにした音楽が突如現れた。

    そのアルバムは当時発明されたばかりのサンプリングという技術を使い
    オーストラリア製のフェアライトコンピュータという音楽用コンピュータをほぼ全編につかった衝撃的なアレンジだった。

    フェアライトは当時、家一軒買えるくらいする値段の楽器で日本に数台しかなかった。一日のレンタル料金が10万円以上したが、そもそもそれを扱えるオペレーターが日本に数人しかいなかった。
    それを駆使してアルバムを作った極東慰安唱歌は、日本で初めてフェアライトCMIのみでアレンジされたアルバムだったと思う。


    新人類と呼ばれる僕達が懐古趣味ともいえるような和風なメロディーを好むことを不思議がられた。
    そういう音楽を好む若者達が突然多く現れたことの理由を色々聞かれた。

    当時サブカルシーンにいた若者達は、びっくりハウスに代表されるような、少し外した感じの文化を好んだ。

    「へたうま」という言葉もはやった。蛭子能収や霜田恵美子のような極端にデフォルメされたマンガが流行した。
    それはマジョリティーではなかったが、渋谷パルコ、西武の発信する文化が一部の若者に熱狂的にもてはやされた。

    オタクという言葉が現れたのもこの時だ。
    そしてそのサブカルを代表するアーティストが戸川純だった。

    世間話のような流れでインタビューを受けていると、突如鋭く切り込まれる話題が繰り出され、僕は時々しどろもどろになった。毎週の連載のインタビューなのに、対象とする人物の周辺の状況やちょっとした僕の落書きのような絵に、興味をもたれたりして、驚いた記憶がある。
    そしてそのときの記事を今あらためて読んでみてさらに驚いた。僕の本質は何十年も変わらず、まさにその、僕そのものという言葉でインタビューが締めくくられている。

    最後のパートのサブタイトルは
    「自分の曲が音になった瞬間の感動」

    インタビュー記事、締めくくりの言葉は
    「僕、やっぱりメロディーが好きだと思うんですけどね、純ちゃんが僕の歌を最初に歌うとね、凄く感動しちゃうんです。これはすごいなと思って。曲が実際に音になった瞬間が凄く楽しいからやっていくという感じですね。」


    次回の「新人類ローリング80」はイラストレータの蛭子能収さんです。

    その後
    ムーンライダース
    プリンセスプリンセス
    竹内均 (東京大学名誉教授)
    たま
    スーちゃん (キャンディーズ)
    高橋 幸宏
    野宮真貴
    村井邦彦
    他の方々の連載を予定しています。



    テーマ : 日本文化
    ジャンル : 学問・文化・芸術

    2012-06-10 : 新人類ローリング80 : コメント : 0 : トラックバック : 1
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